江川珈琲店のブログ

「エカワ」は音声検索で表示され難いようなので、またまた、「江川珈琲店のブログ」にブログタイトル名を変更しました。

 
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昭和・平成

昭和・平成と、自分の人生と時代を振り返っています。

司馬遼太郎さんの「竜馬がゆく」は、歴史小説で青春小説だと思う

誰でもそうなのだと思っているですが、10代の中頃から30歳前後の頃までの十数年間が、人生で最も読書量の多い時期だと、もうすぐ67歳(2018年の秋で)になる小生は考えています。 小生ですが、この時期、毎週1冊から2冊、多い時で3冊の小説を読ん…

空に星があるように、今夜は踊ろう、いとしのマックス

小生、昭和50年代に社会人となり働き始めました。カラオケが登場したのも、昭和50年代だったと思います。 社会人になった頃、高度経済成長は終了していましたが、日本経済はまだまだ元気で成長街道を走り続けていて、サラリーマンの収入は毎年毎年増え続…

エレキの若大将

「夜空の星」の演奏で物語が始まる『エレキの若大将』ですが、加山雄三主演の映画『若大将シリーズ』の中で一番面白いと小生は思っています。でも、小生は、10数作品ある映画『若大将シリーズ』の半分くらいの作品しか鑑賞していません。

1960年頃の商店街と個人商店

1960年(昭和35年)頃の日本、高度経済成長の前夜で、貧富の差が大きくて、貧乏な人が数多く存在していた時代です。その時代、貧乏な人が自営業を営むのは、資金的な理由からものすごく難しいことでした。 店舗を構えて商売を営めるのは資金的に余裕のあ…

それは、バース・掛布・岡田のバックスクリーン3連発で始まった

昭和60年(1985年)、吉田義男監督率いる阪神タイガーズが、昭和39年以来21年ぶりリーグ優勝を果たして、西武ライオンズとの日本シリーズも制しました。

「お茶する」場所の変遷

1980年代、「お茶する」といえば、喫茶店でコーヒーを飲むことでした。待ち合わせに使ったり、時間つぶしの会話の場所に使ったり、昼食やお昼休みの休憩に利用したり、朝食にモーニングサービスを食べたりと、朝から夕方まで便利に喫茶店を利用していま…

なごり雪のメロディーが流れていた1976年

小生、イルカさんの歌う「なごり雪」が大好きです。1回だけ(それも、30年以上前のこと)ですが、イルカさんのコンサートに出かけて行ったこともあります。

大河ドラマ「天と地と」を観て、海音寺潮五郎さんの原作を読んだのは昭和44年、高校3年生の時だった

石坂浩二さんが上杉謙信を演じたNHKの大河ドラマ「天と地と」、毎週観ていたわけではありませんが、3分の2くらいは観ています。 観れない週もあったので、それに加えて全体のストーリーも知りたくて、角川文庫版の「天と地と」上下2巻を高校3年生の夏休…

若者たち

1966年(昭和41年)の2月~9月にかけてフジテレビ系列(和歌山では関西テレビ)で、「若者たち」という伝説の連続テレビドラマが放映されていました。 最初、それほどでも無かった視聴率が、話が進行するに従って上昇して行って、人気が最高潮に達した頃…

青春文学のロングセラー、柴田翔の「されど、われらが日々」

累計販売部数200万部、発表から半世紀以上経過した現在(2018年)でも読み継がれている、柴田翔が描くある若者たちの青春物語、「されど、われらが日々」の芥川賞受賞は、1964年(昭和39年)、東京でオリンピックが開催された年です。 昭和30年代…

喫茶店とコーヒールンバ

昭和の喫茶店全盛時代、現在(2017年)では考えられないような喫茶店需要が存在していたのだと思います。仕事の前に、仕事の合間に、仕事帰りに喫茶店が利用されていました。

コーヒーもう一杯/One More Cup Of Coffee

出発(旅立ち)の時に一番似合っている飲み物、それはコーヒーなのかもしれません。 ニューヨークに出て来て、グリニッジ・ヴィレッジ周辺のフォーク・ソングを聴かせるクラブやコーヒーハウスなどで弾き語りをしていたボブデュランが、喫茶店でコーヒーを飲ん…

ドラマ「ひよっこ」の時代

昭和39年、東京でオリンピックが開催された年、このブログの管理人は13歳で中学1年生でした。 2017年4月~2017年9月の6か月間、NHKで毎日15分間放映された連続テレビドラマ「ひよっこ」の主人公が、地元の高校を卒業して茨城県の田舎町…

70年前、35年前と現在(2017年)の勤務風景

昭和30年代の大ベストセラー小説、五味川純平の「人間の条件」、その第1巻の5ページくらいに、「50人ほども机を並べている広い課内で、真剣に仕事をしている者は少なかった。巨大な会社では、たいていどこでもそうである。定時に出勤して退社する。そ…

VAN(ヴァン)ジャケットの栄光と挫折、そして、創業者石津謙介さんの人生四毛作論

1960年代、1970年代と、一世を風靡したアイビーファッションの雄『ヴァンジャケット』は、昭和26年に大阪で、後にファッションの神様と呼ばれる石津謙介によって創業されました。 ヴァンジャケットは順調に業績を伸ばして、昭和30年には本格的な…

昭和元禄と呼ばれていた時代の若者たち

『昭和元禄TOKYO196X年』(東宝配給、1968年東京映画配給)いうモノクロ映画を、有線テレビで最近(2017年7月)観ました。 1968年と言えば、このブログの管理人は高校2年生で、毎夜毎夜、ラジオの深夜放送に熱中していた頃で、この映画に…

昭和35年頃の生活世界

昭和35年の大企業に勤務する平均的なサラリーマンの月収は、年齢35歳で約4万2000円、大都市郊外の借家暮らしで、そこから都心の勤務先に通勤するというパターンが一般的だったのだと思います。

一億人突破、そしてビートルズがやって来た1966年

若い頃は、NHKのテレビ番組を見る事などほとんど無くて、「NHKの連続テレビ小説て何?」という感じだったのですが、50歳くらいから、時々、面白いと感じる番組も出て来て、還暦(60歳)を過ぎてからは、ほぼ毎日見るようになっています。

1968年~1969年、若者たちの反乱

1969年の1月18日から19日にかけて、「東大安田講堂封鎖解除」の模様がテレビで生中継されていました。 その後遺症で、この年、東京大学では入学試験が中止になったわけです。

1960年代の喫茶店で人気のあったメニュー、クリームソーダ

2017年4月~2017年9月まで放映されたNHKの朝の連続テレビドラマ「ひよっこ」でおなじみのクリームソーダーは、冷凍室のある電気冷蔵庫が普及して、アイスクリームを保存できるようになった結果として登場した1960年代の喫茶店の人気メニュ…

「もはや戦後ではない」(昭和31年)、そして「テレビが我が家にやって来た」(昭和33年)

「もはや戦後ではない」は、昭和31年の経済白書に使われていた言葉で、当時の流行語です。 日本の社会には貧しさが蔓延していたのですが、何となく、未来に光が見え始めていた時代だったのだと思います。 昭和33年、エカワ家にテレビがやって来たわけで…

昭和45年のベストセラー青春小説「赤頭巾ちゃん気をつけて」

1970年の1月から3月にかけて、「芥川賞」を受賞したばかりの小説、『赤頭巾ちゃん気をつけて』がベストセラー街道を突っ走っていました。 エカワ珈琲店の店主(エカワ青年)は、高校の卒業式をまじかに控えた、流行や宣伝に弱い少し軽薄なタイプの青年で…

昭和39年(1964年)、思い出すままに振り返ってみると

2000年代の中頃のこと、昭和39年頃の喫茶店で提供していたコーヒー1杯の値段について、何故か時々、問い合わせがありました。 その頃、エカワ珈琲店のホームページに「純喫茶コロナ物語」と題する記事を掲載していて、その記事を読んでの問い合わせだ…

紳士服ブランド「ダーバン」のテレビコマーシャルとアランドロン

1970年代に急成長した紳士服ブランド「ダーバン」は、主に都会の百貨店で取り扱われていて、アランドロンの登場するテレビコマーシャルの効果もあって、あっと言う間に年商300億円を超える紳士服ブランドに成長して行ったのを覚えています。

ミネルバ茶房という喫茶店

1968年(昭和43年)に発表された、五木寛之の小説『ソフィアの秋』の舞台となった喫茶店、それが『ミネルバ茶房』です。 エカワ珈琲店の店主は、この小説の冒頭部分、「店もまた人である、・・・ミネルバ茶房は、とりもなおさず、そこの店主であるところ…

昭和30年代前半の鉄道事情とトリスでハワイ

昭和30年頃の日本、皆忙しく朝から晩まで働き続けていた時代です。 日曜日に休めれば良いほうで、盆・暮れ以外は、朝から晩まで働きづめという人がたくさん存在していた時代です。 長距離交通の手段は、列車だけという時代で、朝早く東京を出発して、大阪…

スカッとさわやか若大将

昭和41年(1966年)は、「君といつまでも」・「青い星屑」・「お嫁においで」と、加山雄三の歌が連続してヒットした年です。 この年は、あの「ビートルズ」が来日した年でもあります。 若大将EXPO?夢に向かって いま? 加山雄三 LIVE in 日本武道館 [DVD]…

「同棲時代」という言葉が流行っていた昭和48年(1973年)の夏休み

その昔、45年近く前のこと、昭和48年(1973年)の夏のお話です。 学生だったエカワ珈琲店の店主は、夏休み、製氷と低温倉庫を商っている会社でアルバイトをしていました。 65歳の現在も20歳頃の若かった時も、暑さに弱いので、暑さ逃れを兼ねての…

昭和39年、東京オリンピックが開催された年、そして、平凡パンチが創刊した年。

東京オリンピックが開催されの頃(昭和39年/1964年)、喫茶店で飲むコーヒー1杯の値段ですが、60円くらいだったと覚えています。 何故、覚えているのかというと、エカワ珈琲店の店主の母親は「純喫茶コロナ」という店名の喫茶店(住居兼店舗)を営んで…

コロナマークⅡハードトップ、20歳の青春

1970年の3月に高校を卒業して、1年間の大学受験浪人の末、1971年の4月に大学生となり、その年の夏休みに普通免許を取得して、中秋の10月に、中古車でしたが、トヨタのコロナマークⅡハードトップという、その時代の高級車を親に買ってもらいまし…