江川珈琲店のブログ

「エカワ」は音声検索で表示され難いようなので、またまた、「江川珈琲店のブログ」にブログタイトル名を変更しました。

昭和・平成

「同棲時代」という言葉が流行っていた昭和48年(1973年)の夏休み

その昔、45年近く前のこと、昭和48年(1973年)の夏のお話です。 学生だったエカワ珈琲店の店主は、夏休み、製氷と低温倉庫を商っている会社でアルバイトをしていました。 65歳の現在も20歳頃の若かった時も、暑さに弱いので、暑さ逃れを兼ねての…

昭和39年、東京オリンピックが開催された年、そして、平凡パンチが創刊した年。

東京オリンピックが開催されの頃(昭和39年/1964年)、喫茶店で飲むコーヒー1杯の値段ですが、60円くらいだったと覚えています。 何故、覚えているのかというと、エカワ珈琲店の店主の母親は「純喫茶コロナ」という店名の喫茶店(住居兼店舗)を営んで…

コロナマークⅡハードトップ、20歳の青春

1970年の3月に高校を卒業して、1年間の大学受験浪人の末、1971年の4月に大学生となり、その年の夏休みに普通免許を取得して、中秋の10月に、中古車でしたが、トヨタのコロナマークⅡハードトップという、その時代の高級車を親に買ってもらいまし…

とんび(1980年)の時代を思い出しながら・・・

5年前(2012年)の1月14日、土曜日だったと思います。 午後9時から、重松清さん原作の小説「とんび」をドラマ化した、NHK版「とんび」の後半を、どういういきさつだったのか忘れたのですが、たまたま観ることになって、10数分も経たないうちにテレ…

アメリカの青春映画「卒業」に登場した喫茶店「カフェ・メド(Caffe Med)」が閉店するそうです。

エカワ珈琲店の店主の高校時代、ラジオの深夜放送で、ある時期、サイモン&ガーファンクルの「サウンド・オブ・サイレンス」が頻繁に流れていたのを覚えています。 アメリカの青春映画「卒業」の主題歌が、サイモン&ガーファンクルが歌う「サウンド・オブ・サ…

バブル経済、それは・・・

1987年2月、民営化に伴い株式上場したNTT株が、放出価格の約2倍、260万円という株価をつけました。 プラザ合意以後の円高に伴う日本経済の停滞に対処するための金融緩和と低金利政策によって、民間にお金が余っていた時代です。

風に吹かれて/ボブデュランと五木寛之と

『風に吹かれて』という言葉で、五木寛之とボブデュランを連想するのが、団塊の世代です。 1966年(昭和41年)『さらばモスクワ愚連隊』でデビューした五木寛之が、その翌年の1月、『蒼ざめた馬を見よ』で直木賞を受賞しました。 その年の4月から、週…

1962年(昭和37年)の思い出

週刊少年サンデーで、『おそ松くん(作・赤塚不二夫)』の連載が始まったのが、昭和37年4月です。 小学校の5年生で、その頃、比較的裕福な家庭環境にあったエカワ珈琲店の店主は、毎週、本屋さんから「週刊少年サンデー」を配達してもらって、読んでいまし…

アンアン

1970年(昭和45年)、大阪で万国博覧会が開催された年、その年の3月3日、桃の節句の日に、新しい女性雑誌「アンアン」が創刊されました。

五木寛之の「青年は荒野をめざす」

1967年(昭和42年)1月、前年の秋、別冊文芸春秋に発表した『蒼ざめた馬を見よ』で直木賞を受賞した五木寛之が、当時、若い男性に人気のあった『週刊平凡パンチ』に、昭和42年3月から10月まで連載した青春小説、それが『青年は荒野をめざす』です。

昭和36年の暮らしの手帳から/花森安治さんの自称「お粗末なアイデア」

集英社新書『なぜ通販で買うのですか』(著者.斉藤駿)からの引用です。 電器メーカーも、このごろは、売るものが無くなったとみえて、ヘンテコなものを売り出し始めた。 電気米とぎキカイとか、電気バサミとか、電気カツオブシ削りとか、電気オカン器とか・・…

フォークソングを聞きながら/青春のフォークソング

エカワ珈琲店の店主(65歳)ですが、最近(2016年)、何故か、ユーチューブの映像を眺めながら昔懐かしいフォークソングを聴いています。 フォークソングと言っても、好みの問題かもしれませんが、懐かしさのこみ上げてくる曲と、それほど懐かしく感じない…

週刊少年マガジンと週刊少年サンデーが創刊された頃

昭和31年、新潮社から『週刊新潮』が発売されて、それがきっかけで週刊誌を発行する出版社が続出、昭和34年3月26日の『週刊少年マガジン』創刊、4月5日の『週刊少年サンデー』創刊で、漫画雑誌の世界にも週刊化の波が訪れました。

テレビが我が家にやって来た

「テレビが我が家にやって来た」、団塊の世代なら誰でも経験したことのある出来事です。 エカワ珈琲店の店主が「テレビが我が家にやって来た」を経験したのは、昭和33年(1958年)の5月頃のことで、その時代、まだまだ珍しかったテレビ受像機が、我が家…

1970年の雰囲気

1970年当時、東京六本木界隈の外食価格です。 外国人観光客にも人気のある鳥長はやきとり1本80円、きじやきどんぶり250円。立木義浩が推薦している。 俳優座裏の越は、おふくろの味で一杯やる店。ぞうすい320円。(関口宏推薦) 同じく俳優座並び…

昭和33年/3丁目の夕日の時代

映画『3丁目の夕日』の舞台となった年が、昭和33年です。 戦後が終わったということでしたが、日本は、まだ貧しかった時代です。 昭和31年、32年と続いた『神武景気』が終了して、『鍋底景気』と呼ばれる経済の低迷期に入っていました。

昭和55年と平成24年と

昨日(2012年1月14日)の土曜日、午後の9時から、NHKで「とんび/後半」というドラマ番組を見ました。ドラマの出だしの部分の時代設定は、昭和55年でした。 面白かったので、1週間前の土曜日に放映された「とんび/前半」も見たくなりました。で…

昭和31年/邦画5社協定

昭和31年10月、日本の大手映画会社、東宝・松竹・東映・大映・新東宝の5社が、映画製作を再開した日活による俳優引き抜きを封じる目的で、協定を結びました。 その後、石原裕次郎・小林旭といった若い俳優さんの出演する、日活アクション映画が大ヒット…

昭和31年/もはや戦後ではない

『もはや戦後ではない』、昭和30年の経済状況を報告している、昭和31年度の『経済白書』に使われている言葉です。 この『もはや戦後ではない』という言葉、昭和31年の流行語になったわけですが、最初にこの言葉を使ったのは中野好夫という人で、昭和3…

昭和31年/昭和31年頃の鉄道事情

昭和30年頃の日本、皆忙しく朝から晩まで働き続けていた時代です。日曜日に休めれば良いほうで、盆・暮れ以外は、朝から晩まで働きづめという人がたくさん存在していた時代です。 長距離交通の手段は、列車だけという時代で、朝早く東京を出発して、大阪到…

昭和32年/10円噴水ジュース

コーヒー業界の人間ですから、ホシザキ電機の名前は知っています。飲食店向けの製氷機などを作っている会社で、21世紀の現在でも、訪問営業主体の販売方法を採用している会社です。 昭和30年代、デパートの屋上遊園地などに行くと、ジュースの噴水が見え…

昭和31年/長者町のレストラン

クレージー・ケンバンドの曲に、1960年代をテーマにした「長者町ブルース」というのがあります。 私は、長者町というのは、架空の町だと勝手に思い込んでいたのですが、最近になって、横浜市に長者町という町が実在していて、『伊勢佐木長者町駅』という…

昭和32年/流通革命

昭和32年9月、大阪市の京阪本線千林駅前商店街に、後に日本一の小売業者となる『主婦の店ダイエー』がオープンしました。 最初、薬だけの販売でしたが、すぐに食品類も取り扱うようになって、翌年昭和33年の12月には、神戸市に三宮店をオープンします…

昭和33年/月光仮面とスーパーマンと

昭和33年の視聴率ランキングは、①スーパーマン②プロ野球日本シリーズ③おトラさん④私の秘密⑤サーカスボーイ⑥名犬リンチンチン⑦お笑い3人組⑧ダイヤル110番⑨月光仮面⑩名犬ラッシーとなっています。 この10番組のうち、「スーパーマン」・「私の秘密」・…

昭和33年/3丁目の夕日の時代/その3

『三丁目の夕日』の時代、昭和30年代の前半から中頃、日本が戦後経済復興期の真っ只中に在った時代。エンゲル係数という言葉が徘徊していた時代ですから、日本国中に「貧しさ」があふれていたのだと思います。 陽のあたる坂道 (1962年) (新潮文庫) 作者: …

昭和33年/3丁目の夕日の時代/その2

「戦後が終わった」と言われ始めていた頃、昭和33年前後には、正真正銘の格差社会が存在していました。家賃数百円で、4畳半一間のボロボロ長屋に、一家数人が暮らしているというような光景が、都会のあっちらこっちらに存在していました。 人間の條件〈上…

昭和33年/3丁目の夕日の時代/その1

映画『3丁目の夕日』の舞台となった年が、昭和33年です。戦後が終わったということでしたが、日本は、まだ貧しかった時代です。昭和31年、32年と続いた『神武景気』が終了して、『鍋底景気』と呼ばれる経済の低迷期に入っていました。低迷期といって…

昭和34年/少年サンデーと少年マガジン

昭和31年、新潮社から『週刊新潮』が発売されて、それがきっかけで週刊誌を発行する出版社が続出、昭和34年3月26日の『週刊少年マガジン』創刊、4月5日の『週刊少年サンデー』創刊で、漫画雑誌の世界にも週刊化の波が訪れました。

昭和33年/テレビが我が家にやって来た

昭和33年(1958年)の5月頃、その時代、まだまだ珍しかったテレビ受像機が、我が家に突然やって来ました。 我が家というより、母親の経営している喫茶店に、というほうが正しいのかもしれません。 私が、突然と感じたのは、小学1年生で、まだ幼かった…

昭和37年/週刊ハイライト

写真家長友健二さんが30歳の頃、編集長をしていた芸能週刊誌、それが『週刊ハイライト』です。 昭和37年(1962年)の夏創刊で、日本ジャーナルプレス社という出版社から発行されていました。