エカワ珈琲店のブログ

和歌山市で営業している珈琲屋の雑話です

 
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その道の専門家の批評に何の意味があるのだろうか

  

   

 

 

マスコミにしばしば登場する、その道の専門家の論評や批評ですが、どのくらいの意味を持っているのだろうかと考えることがあります。

Seth's Blog: What are professional reviews for?』を読むと、セスゴーディンさんも同じことを考えているのだと理解できます。

 

ということで、セス・ゴーディンさんのブログ記事を参考にさせて頂き、現在のアメリカの雰囲気をエカワ珈琲店流に解釈してみました。

日本の雰囲気については、アメリカに10年~15年くらい遅れているとされているので、以下のような雰囲気になるのには、もう少し時間が必要なのだと思いますが。

 

10年くらい前ならば、その道の専門家の論評や批評に、ある程度の価値が存在していたのかもしれません。
その映画や演劇や本にお金を支払うだけの価値があるかどうかを判断する手段ですが、マスコミを通じての専門家の論評や批評以外にほとんど存在していなかったわけですから。
 
その道の専門家の論評や批評は、みんなの時間やお金を守るための価値ある信号だったのだと思います。
その道の専門家は、自分の論評や批評をマスコミを利用して大きな声で強調すれば、社会の文化のあり方を変えてしまうくらいの力を持っていたのだと思います。
 
10年くらい前の新しい文化に敏感な人たちは、その道の専門家の論評や批評に敏感に反応していたのだと思います。
その道の専門家の論評や批評、それが新しい文化のベースラインとして機能することも多々ありました。
特に、何かを売ろうとする人たちや何かを実行しようとしている人たちにとっては、その道の専門家の意見は貴重な存在でした。
 
今も昔も、新しい文化への需要は変化する事無く存在しています。
でも、現在は、新しい文化の創造者たちにとって、その道の専門家の意見はそれほど貴重ではありません。
ただクリックするだけで、新しい文化について様々な事柄を知ることができます。
皆に知らせたくないネタバレ注意の事柄であっても、ほぼ、ネタバレを回避するのは不可能です。
 
マスコミに掲載されている映画や本や音楽・演劇の批評、食べ物やレストランの紹介記事や紹介映像、これらは数ある意見の選択肢の一つにすぎません。
その道の専門家・マスコミには、これまでの実績があるわけですから、多くの人たちが、その道の専門家・マスコミの意見に同調するはずだと考えるのは愚かなことだと思います。
インターネットの時代となって、知名度よりも親近感が重要視される時代になっているのだと思います。
 
その道の専門家・マスコミは、これまで、社会の雰囲気を作り出してきたという実績を持っています。
商売人や役人や政治家にとっては、社会の雰囲気を把握するための重要なツールだった時代もありました。
現在は、官僚的な縦のつながりよりも、部族的な横のつながりが重要視される時代になっているのだと思います。
 
その道の専門家・マスコミに、ものすごく嫌われている政治家がいるとします。
その政治家を、その道の専門家・マスコミは徹底的に批判して笑いものにしようとします。
でも、インターネットが生活の一部になっている時代においては、その道の専門家・マスコミの批判に同調する人はそれほど多くはないはずです。
  
その道の専門家・マスコミの批判・論評に敏感に反応するのは、おそらく、時間の無駄遣いなのだと思います。
自分の嫌悪の対象となっているものを冷静に分析できることなど、有り得無いわけですから。