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昭和38年/ジョン・F・ケネディー大統領

昭和38年11月22日金曜日、アメリカ大統領ジョン・F・ケネディーが、ダラス市内をオープンカーでパレード中、何物かによって射殺されました。
享年は、46歳でした。

 
小学5年生だった私は、このニュースを、母親の「ケネディー大統領が射殺された」という言葉で知りました。
ケネディー大統領は、日本でも、ものすごく人気のあるアメリカ大統領だったわけです。
 
この日は、日米間で初めての通信衛星を使った実験放送が行われる日で、「演説する大統領」が画面に登場する予定になっていたのですが、それに代って、『大統領暗殺』のニュースが送られてきました。
 
事件後すぐに、24歳のオズワルドという青年が逮捕されたのですが、2日後、刑務所からの移送途中、ダラス市内でナイトクラブを経営していた、ジャック・ルビーという人物に射殺されてしまいます。
その後、このジャック・ルビーなる人物は、「病死」したということになっています。
 
ケネディー大統領と言えば、昭和37年10月の『キューバ危機』です。
10月14日、アメリカのスパイ偵察機がキューバのミサイル基地を発見。
10月22日、ジョン・F・ケネディー大統領がテレビ演説で、「私は軍に対し、あらゆる事態に備えることを命令した』と、ソビエトとキューバを激しく批判。
この日から、『世界を震撼させた7日間』が始まります。
 
10月24日、アメリカ海軍がキューバを海上封鎖、ソビエトも臨戦態勢を整えて、米ソ全面核戦争の危機に突入します。
ビルマ出身の国連事務総長ウ・タントが調停に乗り出して、最終的にキューバからソビエトのミサイルが撤去されたのが10月28日です。
 
キューバ危機の時、アメリカ軍部やケネディー政権内のタカ派が、「キューバ侵攻作戦」を主張していたのを、ケネディー大統領や弟のロバート司法長官が、それに反対して、可能な限り戦争に反対する行動をとっていたと言われています。
 
このキューバ危機の最中、「核戦争が始まるかもしれない」と心配していた母親の姿を、何となく記憶しています。
 
ケネディー大統領暗殺後、ジョンソン副大統領が大統領となって、そのジョンソン大統領のもと、ベトナム戦争が一挙に拡大していきます。
ベトナム戦争が泥沼化して、繁栄を謳歌していたアメリカの若者たちは、軍隊に徴兵されて、本国とは遠く離れたジャングルの中で戦い死んでいきました。
 
ベトナム戦争が泥沼化していた頃、私たち日本の若者は、平和と高度経済成長の恩恵を受けて、青春を謳歌することができたわけです。
もし、ケネディーが暗殺されていなかったなら、アメリカの若者たちが、異国のジャングルで死んでいくことも無かったのではという考え方に、同感です。
 

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2009年11月16日記