エカワ珈琲店のブログ

和歌山市で営業している珈琲屋の雑話です

 
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『高すぎる』の意味

  

   

 

 

セス・ゴーディンさんは、3月20日のブログ記事で、お客さんの「高すぎる」という意識について考察してくれています。

 

「収入が少ないので、そのような高価な商品・サービスを購入することができない」、だから、その商品・サービスは「高すぎる」という場合もあるかもしれません。

働いても、働いても、収入が少ない場合、人は、そのように考えるかもしれません。

 

自己努力と関係のない不当な貧困(政治や行政によって引き起こされた貧困)に苦しんでいる人たちは、生存のために消費するお金にも事欠いています。

収入が少なければ、自分たちの判断で消費できる所得が少なければ、高価な商品やサービスの購入は不可能です。

 

しかし、先進経済国で生活をしている人たちの大半は、エカワ珈琲店を含めて、商業化した比較的裕福な世界で生活しています。

欲しいと思う商品・サービスなら、その価値を認めることができる商品・サービスなら、少しくらい高価格の商品・サービスであっても、無理をすれば購入することも可能です。

借金で首が回らなくなることを心配しなければ、クレッジットカードや分割払い、銀行ローンなどを利用して購入することができます。

 

先進経済国で平均よりも少ない収入で生活をしている人たちは、ゴルフの会員権や高級マンション、高級スポーツカーなどを「高すぎる」と感じるかもしれません。

でも、どうしても欲しいと思う商品やサービスなら、 平均よりも少ない収入で生活していても、同じような所得レベルの他の誰かが購入していなくても、自分だけは購入するかもしれません。

 

「高すぎる」という言葉が、「私はそれがほしいけれども、買うだけのお金が無い」ということを意味しているとは限りません。

 

ボトム・オブ・ザ・ピラミッド(BOP)と呼ばれている貧困層に属する人たちが大半を占めるアフリカで、彼らにとっては「高すぎる」商品・サービスである携帯電話が急速に普及しつつあります。

1日の収入が2ドル以下で生活をしている貧困層が半分以上を占めているアフリカで、1台の価格が約100ドルの携帯電話は「高すぎる商品」です。

でも、低所得の人たちにも利用可能な形に製品・サービスを小口化(携帯電話の場合は共同利用)することで、「高すぎる」商品も普及することができました。

 

「高すぎる」商品・サービスであっても、価値が認められれば工夫次第で売れるのかもしれません。

世界で40億人のボトム・オブ・ザ・ピラミッド(BOP)に属する人たちでさえ、自分たちが価値があると認めるもののためには、お金を支払って購入する方法を見つけ出しています。

 

企業間取引においては、投資した資金を回収できるだけの収益を生み出さなければ、「この投資はあまりにも高額すぎる」ということになってしまいます。

たとえば、250万円の焙煎機を使ってコーヒー商売を営んでも、高性能という触れ込みの500万円の焙煎機を使ってコーヒー商売を営んでも、売上・収益が同じくらいなら、高性能という触れ込みの500万円の焙煎機は「高すぎる」ということになります。

 

商品・サービスが売れない原因ですが、お客さんがその価値を認めてくれていないからなのだと思います。

お客さんが認めてくれる価値と商品・サービスの価格との間に、相当な開きが存在しているのかもしれません。

お客さんには、その商品・サービスの持つ価値と比べると、その商品・サービスの価格が「高すぎる」のだと思います。

 

 収入が多くて貯金を持っている人でも、その商品・サービスに価値を認めなければ、その商品・サービスを買ってはくれません。

もしかしたら、お金を持っている人ほど、お金を稼いでいる人ほど、「高すぎる」ということにシビアなのかもしれません。

 

ある商品・サービスについて、誰もが同じような価値を認めるとは限りません。

自分が「高すぎる」と感じる商品・ サービスについて、他の誰かも「高すぎる」と感じるとは限らないのだと思います。

たとえば、このコーヒー豆なら価格はこれくらいだとエカワ珈琲店が考えているとしても、お客さんが「高すぎる」と感じたならば、コーヒー豆は売れません。

 

イスタンプールの路上で販売しているザクロのジュースは、1ドルで売られています。

そして、それは美味しいジュースです。

イスタンプールの路上で販売しているジュースほど美味しくはありませんが、ニューヨークでもザクロのジュースを売っています。

価格は、イスタンプールの路上で販売しているザクロのジュースの5倍です。

それでも、ニューヨークのザクロのジュースは売れています。

 

イスタンプールの人たちとニューヨークの人たちの間に、支払い能力の違いや、1杯のザクロジュースに対する価値観の違い(文化的な境界)が存在しているのかもしれません。

両都市でのザクロジュースの価格の差は、ザクロジュースに対する文化的な価値感の違いなのかもしれません。

 

 商品・サービスの価値に対する評価の最小単位は、ある価値感を共有する仲間内やコミュニティーなのだと思います。

価値感を共有する仲間内やコミュニティーに、その商品・サービスの物語を知ってもらうことで、その商品・サービスの価値を増加させることができるのかもしれません。

価値を増加させることができれば、価値を認めてくれる人が多くなれば、もしかしたら「高すぎる」という感覚がなくなるのかもしれません。

 

田舎町の無名のコーヒー屋で売っているコーヒー豆も、東京の有名なコーヒー屋さんが売っているコーヒー豆も、その品質に大差はなくても、その価値は東京の有名なコーヒー屋さんのほうが相当に大きいのだと思います。

価値が大きく異なっているわけですから、無名のコーヒー屋さんのコーヒー豆が、有名なコーヒー屋さんのコーヒー豆と同じ価格なら、無名のコーヒー屋さんのコーヒー豆の価格は高すぎるとお客さんは感じるかもしれません。

 

販売している商品・サービスが売れない理由は、ほとんどの場合、その商品・サービスが「高すぎる」からなのだと思います。

お客さんが納得できる適正な価格なら、理論的に、売れないということは有り得ないことだと思います。

 

零細生業商売の場合、その商品・サービスについてお客さんが「高すぎる」と感じているのだとすると、その商品・サービスの価値を増やす努力をする必要があるのだと思います。

零細生業商売の場合、価格を下げるという対応だけでは、お客さんに納得してもらうことが難しいと思っています。

 

価値感を共有している仲間内やコミュニティーに働きかけることで、その仲間内やコミュニティーで影響力を持つ人たちの共感を得ることができれば、その商品・サービスに関係する文化が変わり始めるかもしれません。

文化が変われば価値感も変るわけですから、「高すぎる」という感覚も変化するはずだと思います。

 

【参考】

Seth's Blog: What does, "it's too expensive," mean?