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脱サラした頃

1992年の1月、脱サラを決意して、母親が細々と営んでいた、コーヒー豆の焙煎加工小売業を手伝うことにしました。

いろいろと面白くないことが重なっていたので、再出発するつもりで、脱サラを決意した次第です。

 
喫茶店では食べていけなくなってしまって、何とかしなければと、1989年(平成元年)の8月に開始した自家焙煎コーヒー豆の小売販売が、たまたま時流に合っていたのか、脱サラ当時、母親一人では手に負えないくらい売れるようになっていました。
 

 

 

私が手伝うまでは、店頭販売が主体でしたが、手伝うようになってからは、事業所への配達が中心になっていきました。
 
販売量・売り上げともに、面白いように増加して、その年の12月には、1トンを販売しました。
コーヒー豆1トンといっても、ピンとこないと思いますが、コーヒー豆を販売している者には、ひとつの目安となるすごい数字です。
 
それくらい販売すると、夜の繁華街を、毎夜毎夜、徘徊することも可能です。

独り身になっていた私は、定石通り、夜の繁華街を徘徊したものです。
 
悪いこと、あるいは不運は、いつやって来るかわかりません。

脱サラの翌年、1993年の6月、母親が倒れてしまいました。

半年間の闘病生活の後、1994年の1月、帰らぬ人となってしまいました。
 
私は独り身でしたから、母親の介護を優先すれば、仕事ができません。

それに、コーヒーについて中途半端な知識しかなかったので、コーヒーに習熟していた母親が倒れて、お先真っ暗の状態になってしまいました。
 
母親が倒れた当初は、店番をアルバイトに任せ、私は、コーヒー豆の焙煎と配達に精を出していました。
母親の介護には、付き添い専門の方を雇っていました。
 
しかし、未熟な商品と応対では、お客さんが来てくれません。

店頭での売り上げが急減して、配達だけに頼る状態となってしまいました。

収入が減少して、湯水のように出費が増えるのですから、3ヶ月くらいで、介護の方を雇うゆとりが無くなってしまいました。

 

介護の合間に仕事をするという状態では、仕事が上手くいくはずがありません。
結局、その年の12月には、開店休業の状態になってしまっていました。 

翌年の1月、母親が亡くなり、もう一度再出発という気持ちで仕事に取り組んだのですが、コーヒーに対する、当時の私程度のレベルでは、薄利多売路線をひたすら突っ走る以外にありません。
 
現在なら、すぐに廃業ということになると思いますが、当時は、コーヒー豆の値段が、まだまだ高かった時代です。

薄利多売、過剰サービス路線で、何とかある程度まで、売り上げを回復することができました。
 
今から考えると、綱渡りの日々でした。

あの当時、今の私程度の、コーヒーに対する知識・技術があれば、今頃は・・・と思うこともありますが、それは、無いものねだりだと思い直しています。

 


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