エカワ珈琲店のブログ

和歌山市で営業している珈琲屋の雑話です

 
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龍馬暗殺と三浦休太郎の天満屋事件

  

   

 

 

徳川第15代将軍慶喜が大政奉還をした、その1ヵ月後、11月15日の夜、京都河原町の近江屋に投宿中の坂本龍馬と中岡慎太郎の2人が暗殺されました。

 

この暗殺事件の犯人については、京都見廻組組頭佐々木只三郎以下7名の見廻組員であると、後に判明しています。

幕府上層部の命令によって、龍馬暗殺が決行されたみたいです。

 

 

しかし、事件当時、海援隊の陸奥陽之助らは、龍馬暗殺の犯人は紀州藩だと疑っていました。

いろは丸の損害賠償交渉に対する紀州藩の報復に違いないと考えたわけです。

そして、龍馬暗殺の首謀者は、紀州藩の京都における周旋方(諸藩との外交交渉係)で、在京諸藩の幕府擁護論のリーダー的存在であった三浦休太郎に違いないと断定していました。

 

12月7日の夕方、三浦の宿泊していた京都油小路の天満屋に10名の新撰組隊士がやって来ました。

「土佐藩士が、三浦休太郎を襲撃するとのうわさがあるので、京都守護職松平容保の命令で警護にやって来た」とのことでした。

 

それから2時間から3時間が経過して、三浦休太郎、紀州藩士、新撰組隊士が、天満屋の二階で酒宴をしていると、土佐藩士を名乗る者が訪問してきます。

紀州藩士が応対に出て行くと、その土佐藩士がいきなり斬りかかってきました。

 

それを契機に、紀州藩脱藩の海援隊士陸奥陽之助を先頭に、海援隊士・陸援隊士ら総勢16名が襲い掛かってきました。

燈火が消されて暗闇での戦いとなり、その最中に誰かが「三浦を討ち取った」と叫んだので、襲撃側は引き揚げていきました。

 

この襲撃によって、三浦の家臣2名、新撰組隊士1名、襲撃者側に2名の死者が出ました。

三浦休太郎はというと、顔面に軽傷を受けただけでした。

天満屋で海援隊・陸援隊に襲撃された三浦休太郎ですが、その後、三浦安と名乗り、明治23年には貴族院議員に、明治26年には東京府知事を拝命しています。

 

その当時、徳川幕府擁護勢力のリーダー的存在であった三浦休太郎ですが、その数年前までは、尊王攘夷を唱えて、出身の四国西条藩(紀州藩の支藩)に攘夷決行を促したりしています。

また、文久2年(1962年)に発生した寺田屋事件に関係して、薩摩藩から脱走した薩摩藩尊王派の薩摩藩士が、当時、西条藩にいた三浦休太郎を頼っています。

 

寺田屋事件の被害者で、生き残ることができた薩摩藩士たちの多くは、明治新政府の要職に就いています。

それが、徳川幕府擁護派のリーダー的存在であった三浦休太郎が、明治新政府で、東京府知事にまで出世した理由の一つなのだと考えています。

 

 

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