江川珈琲店のブログ

「エカワ」は音声検索で表示され難いようなので、またまた、「江川珈琲店のブログ」にブログタイトル名を変更しました。

今までもこれからも、図書館の存在価値は司書にあり/これからの図書館

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その昔、知識や情報は、社会の支配者たちに独占されていました。知識や情報を手に入れるのに莫大な費用が必要だったわけです。

グーテンベルグが活版印刷技術を発明して本の大量生産が可能になったわけですが、本を実際に活用できるのは一部の人たちだけでした。

 

本の大量生産が可能に成って、知識や情報を入手する費用がある程度安くなったわけですが、知識や情報の入手源である本のタイトル数も増加の一途をたどります。

アメリカやヨーロッパの市民と呼ばれる人たちの収入では、手にできる本のタイトル数は限られます。

 

18世紀前半のアメリカで、ベンジャミン・フランクリン(アメリカ独立革命の英雄)が仲間たちと語り合う場(議論する場)として「ジャントークラブ」を設立します。

そして、彼の提案で、仲間たちが保有している書物を持ち寄って保管して置くことにしました。

仲間たちがそれぞれ手元でわずかなタイトル数の本を所有するのでは無くて、一つの場所に持ち寄って皆で共有すれば、皆が恩恵を受けることができるとフランクリンは考えたわけです。これが、アメリカにおける図書館の始まりだと言われています。

 

図書館は、みんなで共有するだけの価値を持っている書物を保管して置く倉庫です。そして、その書物の倉庫の管理人が司書です。

図書館で働く司書は、たまたま図書館に就職した職員ではありません。司書には、非常に高い能力が求められます。

司書の仕事には、図書館資料の収集・保管・整理・書物の管理など、図書館利用者の要求に応じるための様々な専門業務があります。また、個人の知識や情報の吸収に寄与する場所という図書館の性質から、教員的なスキルも求められます。

 

司書は、知識や情報を求めている図書館利用者と、図書館が大量に保管している書物を含む図書館資料をつなぐインターフェース(接点)の役割を担っています。

インターネットが現在のように普及する以前、私たちは、大量の書物や資料を倉庫(図書館)に保管して置くことによる恩恵を必要としていました。そして、求めている書物や資料を探し出すのに司書の能力を必要としていました。司書は、図書館に無くてはならない存在だったわけです。

 

20世紀のアメリカの実業家たち(特にカーネギー)は、公共図書館に多額の資金を提供しています。20世紀前半の勤労者たちには、図書館が必要不可欠の存在だったわけです。知識や情報の共有が、市民社会発展の基礎を作って行ったのだと思います。

読書は、私たちみんなを思慮深くします。そして、より多くの知識の取得に寄与して、その結果として、生産的な市民社会のメンバーを増やして行くのだと思います。

 

現在の市民社会は、知識や情報の共有を基礎にして成り立っています。子供たちが、将来、思慮深くて、豊富な知識と情報を持つ生産的なメンバーとして市民社会の一員になるために、読書は重要な役割を果たすはずです。

そのためにも、子供たちを読書好きにするべく、子供たちが知識と情報に楽しく触れることのできる場所が必要になります。

   

以前なら、その役割を司書と図書館が担っていました。現在は、図書館を取り巻く環境が様変わりしています。

例えば、ネットフリックス (Netflix)です。ネットフリックス(Netflix)は、どのような図書館よりも優れた映画図書館で、優れた映画図書館の司書だと思います。

 

司書であるネットフリックス (Netflix)は、全ての映画について知っていて、利用者が観た映画や観たいと思っている映画についても推測しています。

映画を観る人と映画を接続するという点については、ネットフリックス (Netflix)という映画図書館の司書は大変優れています。

 

アメリカの公共図書館の司書たちは、相当な危機感を抱いているという話が伝わってきます。

ウィキペディアなど、インターネット内のオンライン情報供給源が、子供たちや学生、それにアマチュア研究家たちから、図書館の必要性を奪ってしまいました。今後、オンラインの情報供給源が、より手軽に利用できるようになって行くのだと思います。

 

子供たちが、あるいは学生たちが、レポート作成の資料探しに図書館の百科事典を利用する必要が無くなっています。

彼らは図書館を必要としなくなっていますが、オンライン情報供給源からデータを探し出して、そのデータを活用する創造的な方法を探し出すために、これまで以上に司書を必要としているのだと思います。

 

子供たちが、図書館の代わりにショッピングセンターで時間を消費するようになったとしても、ショッピングセンターが図書館に勝利したことを意味していないくて、子供たちに図書館が必要で無くなったことを意味しているのだと思います。

電子書籍が急速に普及しています。電子書籍の価格は、紙の本と比べると相当に割安です。

   

携帯できる電子書籍端末には、約1000冊の電子書籍が保存できると言われています。保存した電子書籍を、家族や友人と共有することもできます。 

今後、ますます、電子書籍も電子書籍端末もリーズナブルにな価格になって行って、簡単に書籍を所有できるようになると推測しています。

 

これからの図書館は、書籍の保管倉庫としての図書館から脱皮する必要があるのだと思います。 

21世紀の現在、誰でも比較的簡単に本を出版できるようになっています。電子書籍の出版は、印刷書籍の出版と比較すると低コストです。

電子書籍は、豊富で満ち足りていて低価格で手に入るわけですから、それに絶版になることが無いわけですから、倉庫としての図書館で保管する意味はほとんど存在していません。

 

電子書籍の時代において不足しているのは、データにアクセスする能力では無くて、電子書籍に対する知識と洞察力だと思います。

現在(2018年)社会で暮らしている私たちは、情報経済の真っ只中にいるのだと思います。これからの図書館は、出版された書籍の保管倉庫の役割を担うのでは無くて、必然的に、地域の情報拠点の役割を担う方向に進んで行くのだと思います。

 

その昔、より多くの知識・情報を得るのに図書館を活用していました。21世紀の現在は、必要な知識・情報は、信頼・信用のできるオンラインリソースから得ることができます。

その昔の図書館も、これからの図書館も、やはり1つの場所なのだと思います。そして、これからの図書館において、司書の仕事は、その昔の図書館の司書の仕事よりも重要な役割を担っています。

 

これからの図書館は、1つの場所で人々がそれぞれに作業をしていて、それぞれの作業をしている人々が連携して、一緒に(あるいは、連携して) 作業をする価値を持つイベントプロジェクトを調整して創造する場所となって行くのかもしれません。

こからの図書館は、司書の能力を最大限に活用するための構造物になって行くだろうと推測しています。

   

図書館を利用する子供たちに、知識と経験と技術を持つ図書館司書が、情報・知識の海の中を案内してくれます。インターネット内の情報・知識の正確な利用方法、取得方法を教えてくれます。そして、情報・知識の取得や活用の楽しさを教えてくれます。

また、図書館司書は、学校を卒業した大人たちにも、情報・知識の重要性を啓蒙して、生涯学習の楽しさ・必要性を教えてくれます。

多くのWEB端末で満たされていて、少なくとも常に1つ以上の端末が使用できる状態にあって、何か疑問が生じれば図書館司書に相談できて、図書館司書が一緒に考えてくれます。

 

そのような図書館、素晴らしい雰囲気を持つ喫茶店と情報に関する経験・知識・技術に長けている話し手がコラボレーションしたような図書館のある町に住んで、その町で働いて、その町に税金を納付できれば楽しいだろうと考えている今日この頃です。

 

図書館司書は、何年後かには無くなっている仕事だとも言われていますが、地域の人たちと情報・知識のデータを駆使して価値を創造する司書の仕事は、これからの図書館には必須の仕事となるはずです。

書籍の倉庫を管理するだけの仕事については、需要が減少して行くと思いますが、真面目で賢明な図書館司書に対する需要が増えて行くのは必然だと考えています。

図書館司書の仕事に対するレベルが、素晴らしい地方公共団体の条件の一つに数えられるようになるのは必然だと思いますから。

 

『今までもこれからも、図書館の存在価値は司書にあり/これからの図書館』は、セスゴーディンさんの「The future of the library」の記事をエカワ珈琲店はこのように解釈しているという記事です。

エカワ珈琲店の偏見と独断で解釈しているので、セスゴーディンさんの「The future of the library」の記事とは、相当に内容が異なっているかもしれません。